「みゃあ」
いつもの夕方、いつもどおり今夜の夕飯の材料を抱えて家のドアを開けたら、いつもと違う声に出迎えられた。
あれ、今日は珍しく機嫌でもいいのかな、なんて思いながら視界をさえぎる紙袋をちょっと横にずらしたけれど、
オレより頭ひとつぶん低い目線からぶっきらぼうな上目遣いの、いつもの姿はそこにはなくて。
あれ? と首をかしげること二回目で、またもさっきの「みゃあ」が聞こえた。
―――オレより頭ひとつぶん……じゃなくて、もっとはるかに低い目線から。
「あ。 やっぱり」
家じゅうをいちいちうろつくまでもなく、一番奥の書斎をひょいと覗くと、果たしていつもの姿はそこにあった。
オレのお下がりのだぼだぼローブが、癖なのか椅子の上に縮こまるみたいな格好で、相変わらず一心不乱に分厚い医学書にかじりついてる。
オレの声に気付いて、彼は振り向いた。
なにか言おうとしたみたいに唇が動いたけれど、こっちを見たとたん、すんごくヤなものに出くわした、ってしかめっ面になって、ぷいっとあっちを向いちゃった。
「どうしたの」
「…べつに」
腕の中で白い丸まりが「みゃあ」と鳴いて、じたばたしはじめた。 いてて、オレの一張羅に爪立てないでよ。
「この子。 …うちの中にいたんだけど、もしかして…キミが?」
だぼだぼのローブを引きずって、その子は椅子を降りた。
背伸びして本を元の棚に戻し、入り口を陣取ってるオレと猫の横を通過する間、ずっと、だんまり。
「ねえってば」
そのまま書斎を出てく背中を追っかけながら、食い下がってみる。
廊下を曲がってキッチン突っ切れば、オレの用意した簡素な食事が二人分、テーブルに並べてあるリビング。
目の前の背中が黙って席に着いちゃったので、諦めてオレも座って、いただきます、とささやかなディナーが始まる。
ほどなく、みゃあみゃあとがなり出したお客にとりあえずベーコンの切れっぱしをふるまってると、向かいの席で食べるためだけにもぐもぐ動いてた口が、ようやくぼそっと声を出した。
「……いっかい、だけ、の。 つもりで」
「『一回だけ』…?」
彼は固いベーコンと格闘してる猫をちらっと見下ろして、すぐにそっぽ向く。
「おっぱらっても、にげないし。 みゃあみゃあうるさいし。 ―――おなか、でもすいてるのかなって、思って」
とつとつ、たる話しぶりだけど、これはしかたない。 この子は人と話すのが苦手。
だから注意深く耳を傾けて、彼が何を伝えようとしてるのか、考えながら聞いてあげる必要がある。
もっとも、一緒に暮らしはじめてそろそろ一年ともなれば、そのくらいはオレもすっかりお手のものだ。
「……で、餌付けしちゃった。 ってわけだね」
頬杖ついて、ちょっと笑ってしまった。
またまたむすっと黙りこくった彼の代わりのように、足元の仔猫が「みゃあ」と返事してくれた。
食事が終わった後の片付けは彼の仕事だったから、手持ち無沙汰のオレは猫の相手でもしてようと手を伸ばしたら、餌をたいらげて満足した彼女(たぶんメスだったような…)はもうオレなんかに用はないらしくって、さっさと隣の部屋に逃げちゃった。
ちぇ、そのすきっ腹を満たしてやったのはオレの夕飯の一部なのにな。
「あの子、なんか似てるよね。 キミに」
深い意味もないまま呟くと、間髪いれずに「どこが?」と、キッチンからひんやりした睨みをきかされた。
「…ぼく、あんなちっちゃくない。 女の子でもない」
「まあ、そりゃそうだけど、そういうことじゃなくてさ」
「じゃあどこが似てるんだよ」
やけにつっかかるなあ。
逆鱗に触れちゃったかな、と肩をすくめつつ、このまま黙ってると余計に怒らせちゃいそうな雰囲気だったので、適当な回答を探してみる。
「うーーーん……具体的にどう、と訊かれると答えにくいけど。
強いて言うなら……警戒心が強くって、ごはんをあげてもなかなか懐いてくれないところ? かな」
はじめて会ったときの彼も、ちょうどあんな感じだった。
否、彼の場合は腹を満たす前から警戒オーラがばりばりで、あの猫の十万倍ぐらいは無愛想だったけれど。
思い出してひとり、ひっそりと笑いをかみ殺してたら、彼の吊りぎみの大きな目が見開いて、ちょっと意外そうにオレを見てた。
「………目、が」
「ん?」
「……ぼくの、目が。 似てる、っていうのかと思った」
それを言い終わる頃にはとっくに背中を向けて、後片付けの続きに戻った彼の態度で、オレはなんとなくだけど全部を理解できた。
嫌そうな顔であの猫を見る理由も、…そのくせ、どう見ても野良らしい彼女に食事を恵んであげた理由も。
「……キミは、あの子のこと嫌い?」
「あたりまえだろ。 きたないカッコでうろうろして。 …キモチワルイ、目で。 あんなの、大っきらいだ」
露骨な嫌悪感。 そして苛立ちのにじむ口調で、それ以上話したくもなさそうに彼は吐き捨てる。
―――それでも。 あの子のこと、放っとけなかったんだよね。
本当に嫌なら無視してドアを閉めたままでよかったのに、家に入れてあげて、餌をあげて、追い出さなかった。
薄汚れて腹をすかせて、それでなお懸命に命をつなごうとあがいてた、
左右、色の異なる瞳を持つ、あのちいさな白猫のことを。
「……他の誰がどう言おうと、オレは」
彼の後ろからそっと皿を取り上げて食器棚へ収めながら、オレはできる限り真剣な声を絞った。
「綺麗だと、思うよ。 キミの目も、あの子の目も」
「なにが『キレイ』なもんか」
憎しみさえこもった強い拒絶が、ぴりぴりと肌に突き刺さる。 お前なんかに何が分かる、と言いたげに。
想像するのはたやすいことだった。
…かつての王宮の中でなら神秘と畏怖の象徴になりえても、荒れ果てた焦土の真ん中へひとりぼっちで投げ出された浮浪児に、色違いの双眸が一体何をもたらしてくれるだろう。
危険、苦痛、好奇と偏見に満ちた周囲のまなざし―――それら以外の、何を。
安易な言葉で彼の傷をえぐりたくはないから、オレはどう言えば伝わるだろう、と少しばかり思案した。
彼や彼女の「目」に対して、オレの抱く正直な思い。
「……清濁併せ呑む……っていうのとは、ちょっと違うかなあ」
うーん、と考えあぐむオレを、彼は不機嫌と疑問符が半々の視線で睨んでくる。
半々。 …そこで、思い浮かんだ。 難しく考えなくても、それこそ生まれたての赤ん坊にも分かる、身近なもの。
「―――光と、闇」
「ひかり、と……やみ?」
不思議そうな声音。 その表情にあった険が純粋な興味にとって代わられるのを見て、オレもちょっとホッとした気分で、にっこり笑いかけた。
「そうだよ。 だってほら、キミの右の目は暗い青。 夜の空の色だろ。 左の目は金、昼のお日様の色。
光と闇、本来混ざり合わないはずのそれらが、キミの中では共存して生きてる。 それが、とっても綺麗なんだ」
「……よるの、そら……と、おひさま……」
縁のかけたグラスに映る自分の双眸を、まるで初めて見るものみたいにまじまじと覗き込んで、オレの言葉を反芻する。
幸福を運ぶというおまじないのごとく。
そんな彼の前にオレは少しかがんでみせて、見てごらん、と自分の瞳を指差した。
「オレの目、何色に見える?」
「………くらい……あお、むらさき…?」
「ああ。 ちょうど、キミの右の目によく似てるだろ?
夜の空の色。 …両方とも、ね。 キミは半分が昼間の光だけど、オレにあるのは夜の、闇だけ」
オレには、闇しかないんだってこと。
言ってて、なんだかすてきな皮肉だなぁ、なんて変に感心せざるをえなかった。
彼の時間は毎日、必ず朝を迎える。 でもオレの時間は今までも、これからも、ずぅっと夜のまま。
―――動くことをやめた時計。 オレの生きる『夜』に、太陽は二度と昇らない。
ふと我に返ると、彼の目が、光と闇を練成してできたような双玉が、心配そうなかげりを含んで見上げてた。
え、何。 …まいったな、オレ今、そんな深刻な顔してたっけ。
「と・に・か・く! 万物はすべからく表裏一体であって、それをまず容受してこその研究者なんだ。
いつの時代も一元論的な価値観てやつは観察眼を曇らせる、偉大なる発見の芽をも摘んでしまう、忌むべき敵に他ならないわけで…!」
「……なに言ってんのか、よくわかんない……もーいいよ」
しまった、焦ってつい地が出てるし。 もっと子供にわかりやすい噛み砕いた表現を…と慌てて思考を巡らせる間に、彼はとてとて玄関の方へ向かってってしまった。
「ちょ……どこ行くのさ」
「そこの川で水あびしてくる。 …夕方、あのネコ、あらってやったせいで汗かいたままだし」
「川ぁ!? こんな時間に一人で!?」
外はとっくに暗い。 子供一人で川へなんて危なっかしすぎる。 足でも滑らせて、流されたらどうするんだよ。
「待って。 オレもついてく」
「ひとりでへいきだよ。 ガキあつかい、すんな」
「ガキ扱い、って……ガキ以外の何者でもないだろ!」
「なんだよ、いっつもえらそーに! そっちこそガキじゃんか!!」
ぎゃんぎゃん喚きあいながら玄関を出た。 …お互いいつもの調子を取り戻せた、って安心してもいいのかな。
ドアが閉まる寸前、いつの間にかリビングへ出てきてたらしいさっきの猫が、かたっぽの耳を小さく震わせて、ふわああ、って大あくびしてるのが見えた。
オッドアイの白猫は、片耳が聞こえないらしい。
嘘か本当か確かめたことはないけれど、それがもしも本当なんだとしたら、気の毒な話だと思った。
どこまでも左右非対称。 まるでその存在自体、アンバランスの具現であるかのよう。
隣を歩く、頭ひとつぶん背の低い子供を横目で一瞥した。
光と闇、白と黒。 対極をその身に宿しながら、どちらにも染まることのない者。
その不安定な危うさこそ美しく、慈しまれるべきもの―――それが、『子供』の本分なのだとしたら。
…いっそこのままずっと、染まらなければいいと思う。 光でも闇でもない『子供』のまま、常永遠に。
……なーんて、ろくでもないこと考えたりするのは、きっと。
ホントは『子供』なんかじゃない、…たぶんもう人間でもない、半端で卑屈なはみだし者のエゴなんだろうけど。
もうしばらく、続いてくれたらいいなって……願うくらいは、許されるよね。
オレと彼と、新入りの彼女と。
『子供』三人の共同生活。 この穏やかな日々がもうしばらく、続きますように。
<Fin.>
ER企画サイト内、Galleryのノベライズページに投稿させて頂いたティモブルss。
自宅でもひとつくらいティモブル作品を置きたかったので、掲載許可を戴いてまいりました♪(^▽^;)
余談ですが、にゃんこのイメージは「カオマニー」という猫種で、純白の毛にオッドアイを持つタイ王家の猫。
通常、毛が白くて目が青い猫は遺伝子の問題上、聴覚障害を持つことが多いそうで、カオマニーの場合は
青い瞳の側の耳に聴覚障害があるといわれているんだとか。
初めて聞いた時、不謹慎ながら感銘を受けてしまいました。そして絶対いつかティモブルネタに使おうと(爆)
まだまだ書き慣れないCPですが、読んでいただいて有難うございました!
ちなみにER企画の方では、もう少し長めのパラブルssを書かせて頂いてますvV<宣伝すんな。^^;
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