カララン…、と来客を告げる鐘に視線を上げ、いらっしゃいませ、と言いかけたリュースブルグの声が途切れる。
驚いたのは突然の来訪にではなく、めったなことでは持ち前の愛想を崩さない男の、珍しくも思いつめたような瞳の険しさに対してだった。
「……どうしました。 浮かない顔をして…」
こころもち首を傾げて機微を窺ってくるその視線を無視して、挨拶もなしにダッシュウッドはカウンター横を回り、リュースブルグの隣まで来ると、無言のまま、いきなり抱き寄せた。
腕の力はいつになく、強引で。
「…ダッシュ、ウッド?」
唇先を掠める程度の軽いキスの後、肩口に額を押し付けてきた男の様子に尋常でないものを感じて、リュースブルグは怪訝をあらわにする。
ここまで性急にプライヴェートの行動を晒すなど、およそ彼らしくない。
「……悪ィ、…ヤらせてくれ。 今すぐ」
簡潔な応えは小さく、低く。 金色の睫毛を一度だけ、ゆっくりと瞬かせるリュースブルグ。 それだけで、あらかたは察してくれたようだった。
苦笑混じりの吐息とともに、しなやかな感触がダッシュウッドの髪に触れてくる。
慈しみを込めて獣の毛並みを撫ぜるような、落ち着かせるような、その細い指先の柔らかさは、ダッシュウッドに昔から何よりも安堵を与えてくれるものだった。
「……言うまでもないとは思いますが…」
「ディープと、突っ込むのはご法度だってんだろ。 …大丈夫だ、ちゃんと分かってる」
―――今夜はそろそろ店を閉めようかという刻限で助かった。
扉の表に『Closed』の札を掛けて戻ってきた店主を、男はもどかしげに腕の中へ閉じ込めると、誘うような芳香の立ち上る白い首筋に唇を這わせた。
*****************************************************
―――嗚呼ぁ、何やってんだオレは。
こんなことしてる場合じゃねえだろ…!
熱を持て余す身体が求めるままに、たっぷりと絡み合い、睦んでしまった後から、取ってつけたような冷静さが押し寄せてくるのは何故なのだろう。
仕事仲間の私室の寝台の上で、男は力いっぱい頭を抱えていた。
あの後、実はどうやって家まで帰ったのか、記憶にない。
ゲオリクに誘われるまま、衝動的に彼を抱いて、…そのむせ返るような悦楽に、そのまま放ってしまったことは
……何となく、覚えている。
そして、事が終わってから、客にしでかしたとんでもない無礼に凄まじく狼狽して、汚した彼の下肢を半ば事務的に清めた後、ろくに暇も告げず、雲を霞と逃げ帰ってきた……のだ、確か自分は。
それからは、どうしたろうか。
とにかく身体の火照りを冷まそうと、帰宅したその足で飛び込むように水浴びし、食事も取らずにベッドへ潜り込んで、しかし興奮に冴えた意識と熱は治まってくれず、結局、一睡もできなくて。
―――……童貞捨てたばっかのガキかっつーの……。
もっとも、生まれて初めて他人を抱いた夜だって、あんなにも無様に取り乱しはしなかったように思うのだが。
今後、どんな顔をして彼の屋敷へ赴けばいいのか……数日前の己に悪態をつきつつ、男は深々と嘆息した。
そして、それ以上に。
彼は何故、自分などに、高貴な身を抱かせたりしたのだろう。
瞼の裏に、いまだ鮮やかな情景が浮かび上がる。
狂ったように踊る、夜の色の髪。 乱れた吐息。 ……思い起こしただけで、身体の芯が熱くなる……。
「つくづく今夜は百面相ですね。 年相応で可愛らしいですが、仕事中にうっかり地を出さないよう気をつけなさい」
情事の後の湯浴みを済ませた部屋の主が、髪を拭きながら機嫌よく戻ってくる。
その上品な笑顔にとても正面から向き合えるほどのふてぶてしさは持てず、ダッシュウッドは枕へ接吻したまま、覇気に欠けた声を出した。
「……お前ってさ。 終わった後で萎えさせるよな、いつも」
「始める前では貴方が困るでしょう」
穏やかに微笑むリュースブルグの応えはいつも通りだ。
ドライな彼流の一種の愛情表現なのは理解しているのだが、悪意がないだけに尚更、始末に終えない―――ダッシュウッドは時々、かなり本気で対処に悩む。
笑った顔は掛け値なしに美人なのになぁ、とふて腐れていた顔を、不意に近くに感じた温もりが上げさせた。
キシッ…とかすかな音を立て、さほど広くはないベッドが男二人分の重みにたわむ。
「……なんだよ、人のやる気を削いどいて第2ラウンドってか?」
「違いますよ。 …いいから、少しじっとしていなさい」
拗ねた視線を受け流しながらリュースブルグは、白く伸びた美しい指先をダッシュウッドの肩口に這わせると、そこへにわかに力を込めた。
「ッう! …おい、何す……ん、ッ!」
痛いくらいに強く押されて、非難の声を上げかけた男に、動かないで…と囁いて、
「…この辺りの血流が滞っているようです。 凝ったままだと身体に良くないですから」
「……ぅ…、…んッ…」
肉のこわばりを解すように、断続的な圧迫を加えていく。
細い指には不釣り合いな力で揉まれていると、次第に適度な疼痛が心地いいものに変わってきて、ダッシュウッドはうっすらと眠気を誘われながら身を任せた。
「…んん……気持ち、…イイかも……お前の、指。 …ぁ……もっと、…キツくても……大丈夫…」
「貴方が言うと、なにやら卑猥な響きですね…」
吐息めいた低音の艶に苦笑するリュースブルグ。 指先はそのまま滑り降りて、肩甲骨の内側へ辿りつく。
「ここも……かなり疲労が溜まっていますよ。 …最近、少し根を詰めすぎなのでは?」
「ん……、かもな。 ここんとこ、…ん……あんま、寝てねえ…し……」
やんわりと咎めるような幼なじみの視線を感じ、だってお前、稼げるときゃ稼いどかねえとよ…と、悪びれもなく笑うダッシュウッドだ。
美貌の青年の指の感触はやがて、背中から腰、脚へと及んだ。
四肢の隅々が癒されるような快感に、手足を弛緩させて瞑目していると、うたた寝にまどろんでいるものと思ったのか、マッサージを終えた指先が優しく髪を梳いてくる。
圧し掛かる柔らかな重みが離れていくより先に、男はその手を甲から包み込むようにして捕らえた。 一瞬だけ震えた指先に自分の指を絡めながら、ゆっくりと、味わうかのごとく唇でなぞる。
「…ダッシュウッド…」
「……ん、……な、リュース。 ……も一回、しようぜ?」
ちろりと舌を覗かせて微笑むと、呆れ顔のリュースブルグに空いた手で軽く頭を小突かれた。
「いい加減になさい。 夜の仕事専門の貴方と違って、私は店の番もあるのですよ」
「ちぇ……夜の仕事とか言うなよな、商売女くせえ…」
「貴方が、寄ると触るとそういう話ばかりだからです」
餌のおかわりをせがむ仔犬の鼻面をそっと押し返す心地で、金髪の青年が身を起こす。 仔犬もさほど期待はしていなかったのか、食い下がりはせず、ごろりと仰向けに寝返った。
「仕方ねえだろ? オレがいくらお仕事熱心でも、金じゃ解決しねえ悩みもあんのよ。 …あーぁ、ヤリてぇなァ…」
ウンと伸びをして、寝台の上の出窓を見る。 まだ満ちきらない月が、ちょうど雲にくるまれたところだった。
「貴方の欲求不満なら、今に始まったことでもないでしょうに」
「まぁな、…でも最近は特に、なのさ。 ……極上の味ってやつをいったん覚えちまうと、どうにもなぁ……」
何かを思い出したように、男はうっとりと溜息を零した。 幼なじみの表情を注意深く見やって、リュースブルグの苦笑がわずかに翳る。
ダッシュウッドは夜空を見ていた。 金色の瞳にどこか切なげな、……それでいて狂おしいほどの、情炎の兆しを湛えて。
「……なぁ、リュース。 蟻地獄って知ってるか?」
「…ええ……何ですか、唐突に」
「あれに似てるかもしんねぇ。 今のオレは、きっと……」
その感情は、言うなれば、破滅を誘う罠なのだ。
……けれどその罠の、たまらなく甘い香り。
一度深みに嵌まってしまえば、最早、抜け出すことは叶わない。
もがけばもがくほどに、それは四肢を絡め取り……少しずつ内部へと、心臓の奥の奥へと、侵蝕は拡がりゆく。
やがて―――この命をも吸われ、喰らい尽くされてしまうまで。
「……せめて、あの人だったらなァ……」
「…?」
真意を窺うように見つめてくる碧眼には応えず、男の瞳は静かな夜へと据えられる。
―――せめてこの罠の下、自分を待ち構えて牙をもたげているのが、あの闇色の人ならば。
或いは、喜んで身を委ねたかもしれない。 ……しかし実際に闇の向こうで、いつしか破滅を迎えるとすれば、それを自分にもたらすのは―――。
瞼を下ろした。 かすかに沸き起こる恐怖から目をそらそうと。
…そこにもまた、新たな闇はつきまとうけれど。
「……リュース。 …オレ、ちっと眠いわ……今晩だけ泊めてくれるか?」
「…否と言っても居座るのでしょう? まったく……貴方という人は」
嘆息しつつも青年の手は、裸の胸に毛布を掛けてくれる。
悪ィな…、と小さく微笑んでダッシュウッドは、唯一気を許せる幼なじみの、枕に染み込んだほのかな没薬の香りに意識を沈めた。
*****************************************************
男の寝息を聞きながら、リュースブルグは長い睫毛を憂いに伏せ、手ずれたカードの一枚を手に取った。
彼が訪ねてくる直前、時間を凌ごうと戯れに並べていたものだ。 対象は特定しておらず、さしたる深い意図もなかった。
…しかし、神託は予期せぬ巡り合わせを告げていた。
(……Dagaz……)
変革とブレークスルー。 圧倒的な破壊を伴う、根本的な転機。
謙虚さを失った選択のために、大いなる罰を受ける覚悟を―――。
果たして、このルーンが暗示する運命の主は。 幼なじみか、それとも自分か。 …いずれにせよ、そう遠くない未来、これまでにない変革が訪れる……必ず。
「…ん……」
傍らで、寝返りを打つ男。 微かに漏れた言葉は、意味を解するより先に、低い吐息にかき消されてしまった。
穏やかな寝顔が近くにある。 こんなにも、すぐ側にあるのに。
ルーンの示す不吉の影。 …そして胸の奥を波立たせる、昏い予感が静まらない…。
(……ダッシュウッド。 どうか……貴方の成すべきことを、見失わないで)
ともに育ったこの組織を、私たちの主人を。 ―――私を、裏切らないで。
遠ざかる何かを引き止めるように、リュースブルグは男の筋ばった手を、ぎゅっと強く握り締めた。
<Fin.>
後書きです。
なんか、もう…ただのエロ尽くしで薄っぺらくて、申し訳ありません。(><;)
そっちの描写に気力使いすぎて、肝心のテーマが不鮮明に…一番まずいパターンですね。; 世話ないです。
実はこのネタにはもう一通りの展開を予定しています。そちらはゲオダシュです。
書きやすいのはダシュゲオですが、書いててより楽しいのはゲオダシュだったりするので(えー)、そっちは
もう少し煮詰めて形にしようと思います。
今回の時間軸は『悪夢のはじまり』より少し前、といったところでしょうか。
ちなみに当サイトの他の作品とは繋がってません。あくまで番外編、ということで。
そして攻めのはずのダッシュ。
ダッシュ受けスキーが書いてるせいか、やっぱりどうしてもヘタレっぽくなります…。(^_^;) ごめんねダッシュ。;
ともあれ、ここまでお読みくださり、有難うございました! お疲れ様でした。^^;
…たまには後味すっきり爽やかな話でも書くべきですね…。精進します。(平伏)
|