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「………何故、」

 それはひどく狡猾な、布石にすぎなかったのかもしれない。

 なけなしの抵抗を試みるのはきっと、なけなしの良識、意地、そしてプライド。 …すべて、自分だけの都合。
 焦燥は既になかった。 心はむしろ、凪いでいた。 否、期待に(くる)めき始めているといった方が正しいか。
 やっと、やっとこれで、

 ―――果てしなくこの身を苛む飢えから、渇きから……解放されるのだ。

「……何故、…俺、のために、…」
 申し訳程度に舌をもつれさせ、ダッシュウッドへの承諾を言いよどむフリなどを白々しく繕うほど、
「…そうまでして…。 お前は、それで何を得るというんだ」
 逃げ道を塞ぐ偽善を振りかざすほどに、目前の獲物を手放したくない、血を貪りたくてたまらないのだと。
 思い知らされる、心地がして。 目を背けたくなるような己の欲の醜さに、ゲオリクは眩暈すら感じた。

「さっきも言ったでしょう?」
 冷静な声をいささかも揺らがせることなく、ダッシュウッドが応じる。 すべて見越して、受け入れた上での静けさなのか、単に命知らずのお人よしなのか。 ゲオリクは判別のすべを持たなかった。
「旦那が望むものは何だって差し上げたいんですよ。 オレに用意できるものなら、何でも。 オレには、それしか尽くせる方法がないから。 ……それさえできなきゃ、オレ、旦那に必要としてもらえる価値なんかないんです」
 大切な人から、いらないと思われるのはつらい。 だから、いくらでも利用して、擦り切れるまで使って。
 男は飢餓にかられた獣の牙に、甘えるような仕種で傷をすり寄せる。 反射的に獣の腕が『血の器』に伸びて、抱擁の奥へと閉じ込めた。 ダッシュウッドは満足げに破顔すると、それにね…と思い出したように口を開いた。
「それに……いつか。 もしオレが死んじまっても、オレの命の一部は旦那の中で生き続けられるでしょ?」
 本心か戯言か。 少し冗談めかした笑顔は、普段のそれと変わらない。 いつ()てを迎えるとも知れぬ、拠り所のない生命で暗闇を生きる男は、あまりにも死という単語に慣れすぎている。
 そして今、本質は異なれど、闇と呼ぶべき境遇に身を浸しているのはゲオリクも同じだった。
「馬鹿野郎…。 俺はお前の命などいらない。 そんな余計な荷物、背負って生きていける余裕があるものか」
 ―――そこへ唇を押し当てられ、ダッシュウッドの全身が僅かに引き攣った。 今にも理性の戒めを振り切ろうとしているかのような、内なる滾りの熱さを吐息越しに感じ取って。
「…お望みどおり、お前を利用して生きてやる。 …だから…、お前も生きろ。 泥まみれでもいい……生きろ」
「、…あ―――」
 返ったのは否とも応ともつかない、恍惚に()かされた喘ぎだけで、ゲオリクはもどかしくなる。 …だが、一瞬ののちにはそれも、かすかに動いた喉から立ち上るかぐわしさに誘われ、意識を追い落とされてしまっていた。
「すまない……こ、れ以上…は」
 制御が、きかない。
 と、続ける間すら惜しんだゲオリクの舌先が、性急に血の味を求めてまろび出した。
 ―――甘い感触に濡れた歓喜の溜息は、果たしてどちらのものだったのか。 のけぞるダッシュウッドの身体をかき寄せると、舌だけではもはや足りず、口腔全体をも使って舐りたてる。 それはまるで幾月も砂漠を彷徨った末、ようやく水場に辿り着いた旅人の如しで、今までどれほどの枯渇がゲオリクを追い込んでいたのかと思うと、この数ヶ月、気にしながらも力になってやれなかった不甲斐なさを、ダッシュウッドは胸中で詫びた。
「…は、……ふ…ぅッ」
 いつもの涼しい鉄面皮を脱ぎ捨てたかのような執拗さで、貪りついてくる男の重みはすぐに支えかね、背後の壁とぶつかりそうになる―――瞬刻、それより早く、体勢を立て直そうとよじる腰をゲオリクの腕がすくい取った。 暴れる活餌(いきえ)を抑えつけるように引き寄せた動きは、しかしその餌の膝に阻まれ、思いどおりにいかない。
「……っ!」
 向かい合わせに座った体勢での支障が鼻についてか。 ゲオリクは男の両脚の内側に手をかけると、思いきり開かせて、腰を抱え込んだ。 ひくっ、とダッシュウッドの喉が跳ねる。 嫌でも行為を髣髴とさせる触れ方、感じる吐息の熱さには、正常な判断力など溶かされてしまいそうだ。 そう危惧するそばから、獣のしなやかな体躯が圧し掛かってきて石畳に背を縫いとめられ、息もつかせぬ激しい愛咬が繰り返し、降り注ぐ。
 (……、旦…那……)
 ちゅぷ、と闇に危うげな水音の散らばるたび、ダッシュウッドは官能のさざめきに打ち震えた。 すぐそこにでも同業者が声を殺して潜んでいないとも限らない。 懼れとスリルの紙一重に感覚を狂わされてゆくのは心地いい、思わず状況も忘れて倒錯の歓びの虜になりながら、持て余したままの両脚をゲオリクの後ろ腰へ、戯れ半分に絡みつかせてみた。
「…んっ……ぁ、」
 途端、ずきんと駆けあがる甘い痺れ。 細身の、しかし鍛えられた肉体の質量が擦れる内腿は熱く、それだけで雄の杭を打ち込まれる瞬間の如く、目が眩んだ。 オレって実は案外、旦那に抱かれたい奴だったりして―――そんな行き場のない欲情にいまだ捕らわれている自分を、ダッシュウッドは一人、苦笑するほかはなかった。
 甘噛みに時折、低い吐息のような唸りが混じる。 飢えを満たさんと一心に吸いつき、食む姿は魔獣の獰猛さを隠しもせず、それでいてどこか幼い乳飲み子のさまを思わせもした。 無遠慮に傷を押し開かれているのに、先刻から少しも痛みを感じないのは、悦楽といとおしさが勝りすぎているためか。 像がぼやけるほどの間近で揺れる黒い頭を、不意にたまらない衝動のまま、ぎゅうと抱きしめた。
「……ン、…?」
 なんだ? と不思議そうなゲオリクの瞳が上げられる。 我に返り、きれてはいないと見え、半開きの唇の間に、鮮血の温もりと赤みを得た舌をしどけなく覗かせているのが、らしからぬ扇情的な光景だ。 何も考えず、食らいついてしまいたい物欲しさをかきたてられなかったと言えば嘘になろう。 しかし……
 ―――やっぱ綺麗な色だ…、旦那の目。
 何よりもダッシュウッドを吸い寄せたのは、上目遣いに見つめてくるゲオリクの双眸だった。 やはり先刻のあの禍々しい紅は、脆弱な灯りの角度が見せた悪戯に違いない。 黒髪の伯爵の美貌を際立たせるふたつの瞳は、まぎれもなくいつものディープブルーだ。 すべてを包み込むような、壮大なる滄溟(そうめい)と同じ色だ。
「旦那……オレの血、美味しいですか?」
「……あ……あ、ぁ」
「いくらかでも、気が紛れました?」
「…ああ、…いや、まだ―――」
 ぼんやりと霧がかったような声で応えながら、足りない、とばかりにゲオリクは再び、ダッシュウッドの首に顔をうずめた。 餌に戻ることを強要された男は僅かに息を引き詰め、仰のく。 と、自然に下肢を押しつける形になり、ふと違和感に気付いたゲオリクがそこへ指を滑らすと、獲物は艶のある美声をいっそう色めかせ、身悶えた。
「…傷……舐められて……感じる、のかお前。 おかしな奴……」
「へへ、…ひでぇ、感じるなって……ほうが、無茶ッスよ。 旦那にここまで…激しく求められちゃあ……ね」
 ククク…と楽しげに肩をわななかせつつも、漏れる言葉は喘ぎに彩られている。 さらにゲオリクの手が腰の裏をつたい、服の上から後孔の周りを押し上げてやれば、その響きはより切羽詰まったものに変わった。
「ひ、ぁ…ッ」
「面白い……」
 おもむろに力を込めてゆく。 搏動(はくどう)が高まるにつれ、何度でも血の滲んでくる傷口を吸い上げながらゲオリクは、軽い酔いに似た充溢さえ玩味しながら、陶然とささやいた。
「味が少し………変わった、今。 …興奮すると甘みが増すんだな、お前の血」
 もっと―――興奮してみせてくれ。
 加える刺激をわざと弱め、ダッシュウッドの理性を身体の片隅に引っかけたまま残してやった。 それで精神的な部分の昂揚を促せることを知っての、粘ついた手管なのは自覚していたが、現に羞恥を捨てきれず、懇願するように浅く背を掻きむしってくる指は例えようもない快感で。
 互いに最高潮には届かない、仄温いせめぎ合いの中、ゲオリクは気の済むまで、甘やかな美酒を味わった。

 

 

 

 

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