その感情は、言うなれば、破滅を誘う罠なのだ。
堕ちてはいけない恋。
想ってはいけない人。
愛する権利は、この命と引き換えに。
それでも尚、心が吸い寄せられてゆく。
―――甘美なる罠の迷宮から、きっともう、永久に逃れる術はない。
Sweet Trap.
「―――だから、何度も言わせるな。
今は、どうしても無理だと言っているだろう」
「…左為ですか。 そいつぁ弱りましたねぇ……」
閉め出しを防ぐ意図でか、ドアの内側にもたれている男は鷹揚に腕を組み、苛立ちを隠そうともしない相手の睥睨を、涼しげな表情でのらくらと受け流してみせた。
この態度がいつも、不快に拍車をかけるのだ。
外へ蹴り出しそうになる脚を宥めて、ゲオリクは溜息ながらに、もう何度目かも数えたくない説明を試みるべく、重い口を開いた。
「今月は村に病人や怪我人が多くて、何かと医療経費がかさんだんだ。 まだ治療中の患者もいる。 今、お前にチップを取られたのでは、必要最低限の包帯すら買えやしない」
「こんなに善意溢れる常駐医がいて、この村の人間もさぞ安泰でしょうねぇ。 無償で診察たぁ……」
オレには死んでも真似できませんぜ…と、口にこそ出さなかったが、その顔にはっきり書かれている。
横柄に胸を張って金がないとうそぶく客に、ダッシュウッドは先刻からずっと苦笑を噛み殺していた。
「…ほぉ、驚いたな。 お前が善意なんて殊勝な言葉を知っていたとは」
「知ってますとも。 素晴らしい美徳じゃないですか! それでメシが食えりゃぁ、尚のこといいんですがね……」
ゲオリクの皮肉にいささかも怯む気配なく、「しかし、困りましたねぇ…」と男は肩をすくめた。
「なにがそれほど困る? 何度も言うが、俺は別に踏み倒すつもりはないぞ。 来月、倍額払うと言っているんだ。 それで何の問題もないだろう」
とっとと話を切り上げたいと言わんばかりの、つっけんどんなゲオリクの物言いに、取立屋はうっすらと苦笑いを深めたようだった。
「いえいえ…決して、旦那の誠意を疑うわけじゃないんですよ。 ただ、ね……基本的に後払いは受け付けないってのが、ウチの方針でして。
ほら、一寸先は闇って言うでしょ? 今の世の中、何が起こるか分かりませんから」
取りも直さず、後々のトラブルによる損害を回避するために、せしめられる機会にせしめておこうというわけか。
ゲオリクは侮蔑的に鼻を鳴らすと、貴様から適当に口を利けばいい、と鬱陶しげな顔で命じた。
「……旦那の事情もお察ししますけどね。 こっちも商売なもんで……タダ働きというわけにもいかねぇんですよ。
オレは旦那ほど人間ができちゃあいませんので、ね……」
小首を傾けて、困ったように男は笑う。 ―――こんな調子で小一時間も続いている、堂々巡りの押し問答。
先に忍耐の限界がきたのは、ゲオリクだった。 しかし、彼は沸点に達した怒りを癇癪ではなく、行動で示した。
「……だ、旦那!?」
融通の利かない相手の腕を掴み、有無も言わさず室内へ引きずり込む。
鉄拳制裁を身構えていた取立人は、客の意外な奇行に慌てながらも、ずかずかと吹き抜けのホールを歩く男に引っ張られるまま、従った。
やがてゲオリクが乱暴にノブを引いたドアの奥に―――あるのは、どうやら客間らしかった。
上がりこむ行為に一瞬躊躇したところ、強引に腕を引かれてダッシュウッドはたたらを踏む。
「……ここは……」
そろりと見回すと、取り立てて豪奢ではないが、ゆったり寛げそうな品のいいリビングが広がっていた。
華美な装飾よりも大きめの暖炉やソファが目を引く、住人の団欒と憩いを重視したようなつくりだ。
伯爵の屋敷にしては謙虚なものだな…と男が逆の意味で感心していると、眦を吊り上げた屋敷の主に呼びかけられた。
「金の代わりになるものが欲しいんだろう。 今、うちにはこれぐらいしかない。 どれでも勝手に持っていけ」
仁王立ちしているゲオリクが示した棚は、ちょっとしたカーヴだった。 ワインをはじめ、結構な年代物とおぼしき酒がぎっしりと並べられている。
…これらを売り払えばかなりの額を稼げるだろうに、本当に貴族という人種は、いっそ気の毒なほどに金繰りが下手らしい。
しばしダッシュウッドは思案した。 ―――本音を言うと酒には目がなく、大変喜ばしいお申し出だ。
特にあの30年物のロゼなんて、その辺の酒場では味わえないような一級品だし、収集家に売りつけても実入りがいい。
逃す手はない、またとない好機……には、違いなかったが。
しかし、―――それ以上に疼いたのが、ふとした好奇心だった。
「……本当に、どれでも宜しいんで?」
「ああ。 どのみち俺は、適度に酔えれば種類や銘柄にはこだわらんからな。 執着はない」
「……それじゃあ……」
琥珀の虹彩が悪戯な光を帯びる。 前髪をかき上げる動きの奥で、それはどこか、獲物を吟味する獣にも似て。
刹那の空白。 ふとゲオリクの注意が時計へ逸らされた隙をつき、
「…ん、ッ……!」
素早く、唇を奪った。
「……この味は、如何ですかね?」
「…な……」
一瞬、何事が起きたのか判断できず、呆然とした男の黒髪を指先で掬い取ると、ダッシュウッドは恭しくそこへ口付けながら、動揺に開かれた深藍の瞳を見つめ返した。
「生憎、質の低い粗悪品で。 旦那の高貴な舌には合わないかもしれませんが……酔いだけは、保障しますぜ」
「……な…にをする、…貴様…!」
「こういうことですよ」
混乱するゲオリクの腰を抱き寄せ、脚の間に軽く膝を割り込ませる。 びくっと緊張した身体を、背中に回された男の腕が、あやすかのように撫ぜてきた。
「……っ…、」
動きは優しく―――執拗で。 それが腰の後ろへと下り、やがて腿の付け根を滑り始めると、ゲオリクはたまりかねて、背筋の震える感覚から逃れようと身じろいだ。
「や、めろ、貴様……何を考えている…ッ!」
「いわゆるギヴアンドテイクってやつです、旦那。 …一番てっとり早い工面の方法、お教えしますよ…」
ダッシュウッドはそっと呟く。 かすかな薔薇の残り香を楽しむかのごとく、黒髪に覆われた耳許へ顔を寄せて。
「…酒も捨てがたいですけど、今夜は…是非とも、旦那ご自身を味わわせて頂きたいなァと。 …駄目ですか?」
<いきなり二択。貴方がゲオリクなら、申し出にどう応えますか?>
→ 「ふざけるな!」 (ダッシュウッド×ゲオリクルート)
→ 「…そんなことでいいのか?」 (ゲオリク×ダッシュウッドルート)
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