やつれきったその顔を見るのは、何も今が初めて、というわけではなかった。
冬も盛りだというのに生温く、泥に身を浸すような不快を誘う風が吹いていた、いつかの裏通りの夜が一度目。
…仕事仲間とやらに渡したという薬の代金を届けに来て、そのまま目の前で崩れ落ちた、あの夜が二度目。
だが三度目となる今が、そのどちらとも異なっていたのは。
衣服の代わりにおびただしい生傷と淫靡な匂いを全身にまとい、両脇をローブ姿の長身の男たちに抱えられ、『一度目』にまさに彼自身が語ったとおりの、被虐の跡を生々しく纏って現れたこと。
そして……伏目がちの視線のかち合った刹那、それがひどく辛そうに震え、逸らされたこと、だった。
「ご苦労。 お前たちはもう下がれ」
サンドウィッチが軽く顎をしゃくると同時に、赤毛の男の身体はふらりとゲオリクの傍らに沈んだ。 大きくたわむ寝台の悲鳴。 ローブの数人はそこに放り出された同胞のはずの男を一瞥することもなく、金髪の主人へ深々とこうべを垂れてから辞去した。
「………ダ、ッシュ、」
呆然と呟かれるゲオリクの声に応えようとしてか、かすかな喘ぎを洩らした男は次の瞬間、激しく噎せだした。
げほ、と咳き込むたび、喉奥に絡まっていたらしい、粘っこく白い液体が糸を引きながらシーツへと落ち、卑猥な染みをいくつも広げては、独特の臭気をさらにきつくする。
陵辱の片鱗を見てゲオリクは息を呑んだが、サンドウィッチはただ、うるさげに眉をひそめてみせただけだった。 伸ばした脚でダッシュウッドの尻を蹴りとばし、侮蔑の目で睨み下ろす。
「私はベッドを汚させるためにお前を呼びつけたわけではない。 自分の申し出くらいは覚えているだろうな?」
さっさと動け。 声高にそう命じられた男は、まだ気管にわだかまる嘔吐を懸命に胃へと押し戻しながら、腰から下を引きずるようにして寝台を這い進み、手を伸ばした。
「………な、」
ゲオリクの下肢へと。
制止のいとますらなく剥き出しの自身を握られて、困惑は出遅れた。 ビク、とただ躰だけが、急所を掴まれる怯えに反応する。
反射的に引けた腰にはダッシュウッドのしなやかな腕が絡みついてきて、ゲオリクはますます狼狽した。 衰弱しきった男を蹴りどかす無体が躊躇われ、抗おうにも抗えない。
その隙にも男の手は、くたりとしたゲオリクのそれに芯を与えていく。
裏筋をなぞられ、同時に先端の窪みを舌先でちろちろと嬲られて。 ひゅ、と悲鳴のような、喘ぎのような吐息が迸りかけたのを、ゲオリクは硬直した喉奥で必死に噛みつぶした。
「そうだ……。 私の代わりにゲオリクを楽しませると豪語したからには、心ゆくまで奉仕して差し上げろ。
分かっているだろうが、ここでは欲こそが法。 半端な情けで手を抜けば、お前の責め苦も増えると思え」
寝台の脇ではサンドウィッチが、椅子の肘掛けに頬杖をつきながら見物している。 ゲオリクには話の見えないその言葉はしかし、ダッシュウッドに少なからず恐怖を与えたようで、ゲオリクの軸を握る指に一瞬、震えに似た力が篭もった。
そこに縋るような不安が滲んでいたと感じたのは、果たしてゲオリクの錯覚だったのか。
どこかおずおずと窺いがちであった動きは、にわかに激しさを増した。 絶妙な加減をまじえながらも、なにかを急くような指先に扱きあげられて、ゲオリクは焦燥に身をよじる。
先の入団の儀式で、身の奥を灼き貫いた官能までもが、少しずつ呼び覚まされるような感覚に。
「ゲオリク、今宵の主賓はお前だ。 特別に余地を与えよう」
せめてあられもない声だけは極力洩らしてやるものかと、唇を強く噛みしめる。 そんなゲオリクの矜持を逆撫でするごとくに、男の声音はあくまでも上機嫌で、穏やかなものだった。
「選ぶがいい。 ―――これに、抱かれたいか。 それとも……抱きたいかね?」
一瞬、何を言われたのか分からず、ゲオリクは目を剥いて声の主を見上げた。
ほの白い手でダッシュウッドの赤毛を弄びながら、金髪の男はゲオリクの反応を楽しんでいるようだった。
「お前はすでにこの男と、『合意の上で』まぐわう仲なのだろう。 今更、何を恥じらう必要もあるまいよ」
今宵めでたく我らが同胞となったお前に、私からの祝杯だと思ってもらえればいい。
そう告げる唇が意味ありげに綻ぶのを見て、ゲオリクは薄々ながら直感的に、サンドウィッチの意図を察した。
どこまでも下衆な輩め…、と罵り捨ててやりたい苦味を堪え、表面上はいたって静かな口調のままに。
「……どちらも辞退する、と申し上げたところで、聞き入れてはいただけないのでしょうね」
「無粋だな。 私はこれでも、最大限お前の身を気遣っているつもりなのだが」
「……では……」
ゲオリクは軽い深呼吸で羞恥と屈辱とに蓋をしてから、そろりと両膝を立てて、開いてみせた。 覆いかぶさる男の腰を腿で挟むような形になると、半ばまで起立した雄の下の、白い双丘が
露になる。
「ほぉ……抱かれようというのか。 何故、そちらを選んだ?」
ゲオリクの行動に明らかな動揺を示したダッシュウッドを尻目に、サンドウィッチは好奇を隠さず問う。
怯むことなく睨み返すのは、ひたすらに冷ややかな焔の渦巻く、蒼い双眸。
「恐れながら、伯爵。 この若輩の身は未だ、貴殿の組織の徳といたすところを咀嚼しかねておりますれば」
―――貴様らのような、色欲に淫するケダモノと一緒にするな。
真に『合意』ではない男を犯す趣味はないのだ、との意志を覚悟でもって主張するゲオリクの眼は、抗うものを屈服させることにこそ至上の快感を得る金の髪の男を、いたく満足させたらしかった。
「そうか。 では、ご所望のままに。 ……アガシオン」
促され、赤毛の男が肩をこわばらせる。 その先はどうせよと言葉で示されなくとも、果たさねばならない義務はすでに用意されているに等しい。
逡巡の残る瞳の淵に、けれど隠しようのない、欲情の兆し。
ダッシュウッドはそれを恥じるかのように、尚早にゲオリクの脚の間に頭をうずめ、舌を差し出した。
「……っん、…っ…」
屹立している雄への愛撫ももどかしく、後方の窄まりを濡らしほぐしてゆく。 せめて丁寧に馴染ませてから…、との気遣いなのは、ゲオリクにもわかっていた。
初めてこの男に肌を暴かれたとき、下卑た言葉で互いの欲望を煽りながら、しかしできうる限りゲオリクの身体が受ける負担を減らそうと、優しく扱おうとしていた、舌の甘さ。
わかっていたが、ゲオリクはあえてそれを撥ねつけ、叫んだ。
「……っいい、から……ッ。 とっとと、ぶち込め……!」
あのときとは状況が違う。 ……今、自分の痴態を眺めているのは、この男だけではないのだ。
顔面から火を噴きあげそうな体勢を強いられ、晒され続ける屈辱がいたずらに長引くよりは、苦痛を選んだ方がよほど気を紛らわせる。
ゲオリクの矜持が正しく伝わったのだろう。 慣らしていた後口から、躊躇いながらも指が退けられた。
引き抽いたそれを、ダッシュウッドは己の下腹部へと下ろす。 そこはすでに焼けるような熱さで反り勃っていたが、先刻の戯れの折に根元を戒められ、解放を禁じられたままになっていた。
「外すな」
―――肉を噛む、細い革製のベルトを解こうとしていた指先がビクリと凍る。
無慈悲な声の主は、どこか怯えたような部下のまなざしを受けても、むしろ一層のこと興じるそぶりを強め、
「それだけ勃たせていれば充分だろう」
と、暗にそのままでゲオリクを抱けと命じた。
「仮にも彼は、貴族としてここへ招かれた客人だ。 お前の垂れ流したもので汚すつもりか」
しまいに冴え冴えたる口調で嘲られては、ダッシュウッドにそれ以上、是も非も唱える権限はなかった。
緊張に肩を尖らせたまま、ゲオリクの後孔へ先端を押し当てる。 ダッシュウッド自身が散々に濡らした痕跡と先走りの水音とが、じゅくりと絡み合う。 ひとつ息を吸い、ゆっくりと吐いて、やがて静かに腰を進めた。
「……っは、―――ぁ…あ……っ…」
肉体をめりめりと分断されるような痛みに、のけぞった白い喉が引き攣れ、唸りを零した。 腰から下は細かに痙攣し、血の気が引いていく。
頭頂でひとくくりに縛り上げられた両手を握りしめるあまり、手のひらに食い込む爪の感触。 ゲオリクの脳裏を、いつぞやの情交の記憶が荒れ狂う。
だが、突き立てられる熱さは同じでも。
忌々しいまでの余裕を湛えてゲオリクを組み敷く、記憶の中の笑顔とはかけ離れ、今ゲオリクの内にいる男は蒼白に震えていた。 軋るほど歯を噛み縛り、全身から冷汗を噴き出し、抱いた男の背にしがみつくようにして。
留められたままの欲望を甘く、激しく躙られる苦痛はおそらく、ゲオリクのそれをも凌いでいるだろう。 息継ぎすらままならぬ喉が、かは、と苦しげにひくついた。
「……だ、…那、 ち……から…、」
―――力抜いてくだせぇ…、と涙混じりに訴えられて、できるものならば端からやっていると頭の隅で毒づく。 ゲオリクもまた、狭い壁が異物を食む激痛に耐え、やり過ごすだけで精一杯だった。
「……あ、……」
不意に、苦しいばかりだった下肢を快感が駆けて、ゲオリクは背をしならせた。 震えながらもダッシュウッドの唇が胸の突起を吸い、指先はゲオリクの軸を捉えていた。 内奥の圧迫をわずかでも散らそうとするかのように、あまやかな刺激を注ぎ始める。
「あ、ぁ………ん、ッんあ、…」
―――この際、呼吸がはしたなく上擦るのは仕方ない。
苦悶を和らげるために動いてくれている男のために、ゲオリクも躰を緩めて受け入れられるよう、悦楽の糸口を求めて、乱れた。
「なかなかに梃子摺っているようだな」
キシリ、とベッドの端を柔く沈ませ。
忘れていた声は相変わらず微笑みながらも、低く、冷たい毒を含んで、ダッシュウッドの背後へ忍び寄った。
「自分からゲオリクの接待を買って出ておきながら……まったく……」
紅く伸びた爪が、つっと首の後ろを伝う。 それに過剰なまでの反応を示し、怯えおののくさまを見遣りながら、指先はくすぐるように肌を這った。 生傷の彩る背中から腰骨へと愛撫を進めていき、
「仕様のない子だ。 まだまだ、玩具としては磨きが足らんな」
やがて双丘の秘裂へ到達すると、何をどう弄ったものか、赤毛の男に「ひッ……」と鋭い呻きを立てさせた。
ゲオリクの視界には入らないそこで、ぐちゅりとぬめった肉の擦れる音が続く。
「ッぐ、ぁっ……あ、ぁ……―――ッッ!」
苦鳴とともに激しくのけぞった一瞬の後、緊張がほどけたように、ゲオリクの胸の上にダッシュウッドの四肢が弛緩した。 重みを増した身体を受け止めながらゲオリクは、サンドウィッチの白い手の内に、たった今己の上で息を喘がせている男の後孔から引きずり出した、としか思われぬものを見た。
―――突起などと呼ぶのも生温い、無数の棘を生やした、巨大な張型。
先刻、金髪の男が「責め苦」と呼んだのはこれかと、漸うにして理解する。 後方の圧迫が失せたことで若干は楽になったのか、わずかではあるものの苦悶の表情の和らいだダッシュウッドとは対称的に、ゲオリクは戦慄に凍りついていた。
正気の沙汰でない連中だということくらい、嫌というほど理解していたはず、なのに。
目に見える形で改めて思い知らされると、氷のような恐怖はいともたやすく、本能を踏みしだく。
「そう構えるな、ゲオリク。 ……これはまだ、今のお前にはいささか刺激が強かろうよ」
恐懼と威嚇の混ざり合った瞳で、食い入るようにそれを睨むゲオリクに、サンドウィッチはちらりと涼しげな嗤笑を返したのみで、ベッドサイドのキャビネットへと放り遣った。
代わりに空いた手を伸ばし、そこにひっそりと飾られていた、小ぶりの硝子瓶を取り上げる。
光の角度によって微妙に彩を変える、装飾こそシンプルだが美しいその細工物は、一見すると特に変哲もない寝酒の瓶―――のように、少なくともゲオリクには見えた。
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